自分語で能力開発

自分語研究家Miki執筆用ブログ

人と違ってはいけないの?

 人と違ってはいけない、人に合わせなければいけないと思うようになったのはいつからですか?子どもの頃に親にそう言われた、先生に言われた、友達に言われた。状況を詳しく覚えていなくても「みんなと同じにしなきゃいけない。」と言われて思った記憶はあるのではないでしょうか。そして、なぜ人と違うことはいけないの?と思ったことはありますか?そしてそれはどんなことですか?

 

 多くの人も、幼少期の頃から、みんなと同じように行動することを当たり前としながら、ちょっと変わった子、目立った子がいれば人気者になったり、いじめられてしまったり…。兄弟やいとこの間でも比べられ、大人たちに優劣をつけられてしまうことがあったのではないでしょうか。私が人と違うことはいけないことなのかな?と疑問に思い始めたのは小学校卒業直前から中学進学の数ヶ月の頃でした。そしてそれからは、人とはちょっと違う学生生活を送り、ちょっと違う社会人生活を送ることになったのです。

 

 私のいとこ達が次々と有名私立中学に進学する中、私は一人不合格、公立の中学へ進学することになりました。その頃から、仲の良かったいとこ達とも疎遠になり、親戚の集まりに行くことが恥ずかしいと思うようになりました。そして、中学へ進学してからは、天然パーマの私の髪に目をつけた先生から声をかけられ、髪のことを何度も注意されるようになりました。いとこのように私立の中学に行けなかったこと、小学校では何も言われなかった髪について何度も説明しなければいけないこと。一体私の何がいけないんだろう?小学校で一緒だった友達とも仲良くすることができなくなり、どうしたらいいのかわからなくなった私はやがて不登校になりました。

 

 結局中学3年間、ほとんど学校に行くことはなかったのですが、たまに気が向いて登校してみると、呼ばれるのは校長室。校長先生との雑談は楽しかったのですが、周りからは特別な目で見られていると感じていました。学校に通い始めたある日、友達と無断下校して、先生に呼び出されたのですが、友達は担任教師と個人面談でしたが、私は学年の先生ほぼ全員(10名くらい)を相手に事情聴取。あ、やっぱり私はダメな子んだと思い、再び不登校になりました。そして、卒業を迎えたのですが、当時は学歴社会真っ只中。中卒ではまともな仕事に就くこともできず、だからと言って就きたい仕事があるわけでもなく、結局中学浪人という道を選び、高校へ進学することになりました。

 

 高校に進学してからすぐ、最初の自己紹介で、同級生より1つ年上だということを言ってしまいたかったのですが、想像したような自己紹介の機会もなく、当時は大きかった1つの年の差を隠して高校生活をスタートさせました。1年はなんとか楽しく過ごせたのですが、2年目からはまた息苦しさを感じるようになり、中退も考えましたがあまりメリットがなさそうです。そこで、高校で行なっていた交換留学の制度があることを思い出して試験に応募、見事合格してオーストラリアへ1年の留学をすることになりました。そして、帰国して元のクラスに戻れたのですが、ちょっと浮いてしまっている感覚があり、卒業が待ち遠しくて仕方ありませんでした。

 

 その後も、まともに就職することもなく、いわゆるフリーターで職を転々としました。今まで何の仕事をしてきたの?と聞かれたら困るほど、たくさんの仕事を経験してきました。販売、事務、農作業、アウトドア関係、工場の内勤、飲食業、観光業、サービス業など様々です。中学時代に、「自分は人とは違うんだ。」と思ってから、人と同じ道を生きることがどういうことなのかわからなくなり、一般的に就職するという選択肢すら持つことができなかったのです。でも、見方を変えれば、他の人となんら変わりのないただの一般人。自分では人とはちょっと違うと思っていても、結局は他の誰とも変わらないなんの取り柄もないいわゆる「一般人」だということに気づいたのです。人からは「変わった人」と言われるし、人とは違うという自覚もあるのに、なぜ自分は一般人なんだろうと思い、やがて一般人でしかない自分に苛立ちを感じるようになりました。

 

 そして、40歳になって出産。出産に至るまで、2度の流産と不妊治療を経験し、これまた一般的とされる妊娠、出産とは違う経緯をたどりました。流産の経験もあり、妊娠中常に不安だった私は妊娠、出産について調べ、自分の体調や赤ちゃんの成長具合を他の人と常に比較するようになっていました。比べても仕方がないと思いながらも比べてしまう自分に少々呆れながらも他人と比較してしまうことがやめられない止まらない状態だったのです。でも比較していたことで、生まれる前から、実際は受精卵になるその前の卵子精子の頃からそれぞれ個性があり、誰一人として同じ人間がいないということも実感することができました。

 

 その後、出産して余裕が出てくると、子どもを育てる幸せを実感しながらも、自分の自由に使える時間もお金がないことに息苦しさを感じるようになりました。自分で稼げるようになりたいでも、雇われるのは嫌だ。どこかに勤めて、上司や同僚、パートアルバイトや取引先、そしてお客様の悪口を聞いたり言ったりする生活はもうしたくない。変わりたい、変えなきゃと思うようになりました。ではどうしたらいいんだろう?起業するにも資金はないし、実績もない。考えを巡らせれば巡らせるほど、私の中の常識の中では「ないもの」しか見つかりませんでした。やっぱり私には無理なのかと何度も諦めそうになりました。それでも、何か突き抜けてみたい。一般人を卒業したいと強く思うようになりました。

 

  私が一般人の枠を超えるために必要なことは何なのか?そもそも一般人って何なんだろう?私はある集団の中で考えると一般的ではない。でも、違う集団に入ってみればただの一般人なのです。私が一般人ではないと思う人たちはのはまずは芸能人や有名人。そこまでいかなくても、自分でビジネスを起業し、成功している人たちも私からしたら一般人とは少し違う。でも、孫正義のような大企業の社長からしてみれば、私が思う成功者たちも一般人。そして、もし神様がいるとするならば、孫正義だろうと、トランプ大統領だろうと金正恩だろうと同じ人間。結局、どんな生き方をしようと同じ人間という種類の生き物であることに変わりないのです。ということは、他人の評価はどうであれ、変人になるのも偉人になるのも一般人でいるのも自分次第といってもいいのではないかと思うようになりました。

 

 では、なぜ私は一般的な人生を歩んでこなかったという自覚があるにもかかわらず、何かが突き出ることもなく、一般人の枠の中にいたのでしょう。私は何度も何度も考えました。そしてそれは、「普通はこうでしょ。」「そんなの常識でしょ。」というある意味一般的な考え方を持ち、その範囲で行動することが当たり前になっていたからです。つまり、自分はこうしたい!という自分だけの感情、感覚、勘、言葉である自分語が一般的な「普通」と「常識」だったからだと断言できます。つまり、自分が思う「普通」や「常識」を自分で疑い、自分で壊していかない限り、今いる一般的な場所から抜け出すことは不可能なのです。

 

 人と違うことはもちろん、人と同じであることも悪いことではありません。問題は、何が人と違い、何が人と同じなのか。違う部分と同じ部分の内容が自分が本当に望むものなのかを常に自分に問い続けなければいけないし、口に出して言う、ブログに書くなど、形式は問わず、発信し続けなければいけないのです。今までどんな人生を歩んできたかということは関係ありません。必要なのは自分がどうありたいか。ただそれを表現できるのかできないのか。するのかしないのか。ただそれだけで人生はまったく違う方へ進むことになるでしょう。そしてそれには今現在できる、できないという能力も関係ありません。今できないからといって、将来もできないということはないからです。今はできなくても、将来はできるようになっている可能性は十分にあるし、できるんだ、そうするんだと決めて行動さえしていれば、たとえ時間がかかったとしてもできるようになるのです。

 

 例えば宇宙に行きたい!と思ったとします。すると考えられるのはまず、宇宙飛行士になることです。宇宙飛行士になるには、宇宙飛行士候補者選抜試験を受けて、晴れて合格しても養成、訓練を受けなければいけません。そもそも試験を受けられる資格も厳しいようです。簡単にいうと、自然科学系の大学を卒業し、かつ自然科学系の実務経験が3年以上あり、科学知識、技術を持ち、25mX3回泳ぐことができ、10分間の立ち泳ぎもできる。そして、円滑な意思疎通のできる英語力と長期宇宙滞在に適応できる、医学的心理的特性を有すること。自分の経験などを活き活きと伝える表現力があること、10年以上の海外勤務が可能なこと、運転免許を持っていること、所属機関などの推薦が得られること。などが宇宙飛行士候補者選抜試験の受験資格です。この応募条件に当てはまる人はどのくらいいるのでしょうか。私はこの条件に当てはまらないので、私が宇宙に行きたい!と思ってもそれは実現不可能のことのように思えます。でも、それでも行きたい!と願い、願いを発信し、行動し続けていれば、宇宙に行ける可能性はゼロではないのです。

 

 つまり、宇宙に行きたい!という自分語を見つけ、発信ことができれば、宇宙に行くためのあらゆる情報を収集し、必要な体づくり、資金作りをして準備することができます。そして、さらに発信、行動し続けることで協力者も現れ、さらなる情報を得ることもできるようになるでしょう。そして、いつか訪れるであろう宇宙旅行のチャンスを掴み、本当に宇宙に行くことができる可能性が高まるのです。この場合、宇宙飛行士にはなれないし、実際に行けたとしてもお金かかるし…と諦めてしまえばそこで試合終了です。当たり前のことですが、この当たり前のこともできずに、今いるところに止まってしまう人が多いのです。そして、何も突き抜けることがないままただ時間が過ぎてしまうことになるのです。

 

 このまま何も変わらない状況を望むのであれば、このままでもいいとは思います。でも少しでも改善したいと望むなら、今自分の周りにいる人たちとあなたの自分語は違っていて当然なのです。むしろ今と違う自分語を発することができなければ現状を変えることはできないでしょう。そして、自分が理想とする人たちと同じことをして、自分の普通になるまで行動し続ければいいのです。そして自分語を発信し続けるという行動こそが、新しい能力に出会い、能力を活かすことができる唯一の方法だということを実感していくことになるでしょう。